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廣友 秀人
インテリジェント株式会社・役員
印刷会社、広告代理店の営業職を経てテレビの放送作家に転身し、報道番組、情報番組の構成を担当。その後制作会社を経営するが、両親の介護に伴い現在の会社に転職。富裕層向け事業をはじめ国会議員の広報などの業務を就業時間ありきの生活サイクルの中で行っている。
社会人になり30年以上、その間に社会は色々と変化し働く環境も変わった。
社会人になってポケベルを持たされた。緊急の時は休みの日でもなるために対応しなければならない。携帯電話を始めて持ったのは20代後半。休みの日に出かけていても電話が繋がってしまう。そしてインターネットやメール。出社してから半日はメールの対応ということは珍しい出来事でもなく、休みの時もよせばいいのにメールのチェックだけは行うのが普通になってしまった。
フレックスタイムという考え方や、セクハラ、パワハラなども自分が社会人になってから問題視されるようになった概念。そう考えると、新たな環境に対応せざるをえない中でこれまで働いてきたと言える。それは、自分の中で納得して受けいれているというよりも、社会環境や風潮がそうなったから合わせるしかないというところだ。
テレビ番組制作を行っている時、ドキュメント物が多く、ありとあらゆる仕事の現場取材も行ってきた。その中で思うことは、その業種や業務内容で、労働環境は異なるということ。取材先で、うちはこんなにひどい労働環境なんですと愚痴をこぼされたことは度々あるが、テレビ番組制作の環境に比べたら恵まれているとまでは言わないまでも、さほどひどいとは思えない状況はしばしば。
また、自分は、親から「男は仕事が最優先」と言われ育てられたため、働くことに対して苦だと思うことに鈍いのかもしれない。さらに「嫌なら辞めてしまえば良い」と思っているので、ひどい環境の中で我慢して働いていると言われたところで、同情する気持ちはあまり沸いてこない。
どんな仕事でもどんな職種でも辛いこともあればひどいこともある。それでも、自分次第で楽しくできるはず。それができないならばそれはひどい環境と言えるだろう。かと言って、それもどこも同じではない。職場職場で条件があるはずである。
あらゆる人間関係の中で社会は成り立っている。その中で自分だけの価値基準で判断するだけなら、楽しく働くことはできない。そして「働く」と「楽しい」は決してイコールではない。「楽しい」は苦労したり大変な仕事ほど終えた時に感じるもので、その渦中の時は「辛い」「逃げ出したい」という気持ちが強いものだ。「辛い」「逃げ出したい」と思った時に周囲の人の対応によって頑張ることができる。
働くことの目的は人によって異なる。単純に収入を得る手段としてその仕事をしている人と、自らの夢を追いかけている人では、同じ職場で働いていてもモチベーションが違う。年齢によっても違う。先のある若い世代と、あとは定年を待つばかりの世代では目的は違う。以前は終身雇用が普通だったが、今は転職が当たり前の社会。時代は変わった。自分の常識が非常識になり、非常識が社会の常識ということもいろいろある。ただ、時代だからで済まさずに、まずは自分の常識と社会の常識を比較して考えた答えを持って行動すれば、少しでも働く=楽しい環境に近づくのでないかと思う。