
新型コロナウイルスの封じ込めに向け、世界各国で国境封鎖などの措置が強化されています。
出入国審査を撤廃したシェンゲン協定により、事実上の国境をなくした欧州でも行われています。イタリアで感染者が続出した頃から議論の焦点ではありましたが、当初の欧州委員会では国境封鎖に前向きではありませんでした。
この状況に変化をもたらしたのは、イタリアでの感染者の激増と、イタリアから帰国した人たちが感染していたというケースが欧州各国で続発したことによります。
イタリアからの入国を原則禁止にしたり、国境管理を導入する国々が増えていきました。まさに、なし崩し的に制限が広がった感じです。一度開かれた国境が、新型コロナウイルスによって再び閉じられることになったわけです。
EU圏内の移動の自由を基本理念としているドイツですら、感染拡大防止を優先することになったのは、ある意味で歴史的なことといえるかもしれません。
シェンゲン協定の恩恵よりも、自国での感染拡大を阻止することに重きを置くことは、決して間違いとはいえないでしょう。この政府の方針について理解できるがゆえに、もどかしい思いが強くなります。
ただ、鎖国や戒厳令に似た状態が続くことは、日常生活にストレスが増大するのも確かで、このような状態が長く続けば、コロナウイルスとは別に、気持ち・考え方、そして身体にも大きな影響を受けることもあるでしょう。
昨年の夏、シェンゲン協定の恩恵により、徒歩で国境を越えるという経験をしました。
欧州では珍しくない体験ですが、国境が封鎖された現在では、まるで夢のような話になってしまいました。時代が戻ったような気分です。
その日は、ベルリン郊外で、Sバーン3号線の終点であるエルクナーからポーランド方面のREに乗り換えました。向かう先はフランクフルト(オーダー)です。列車はエルクナー周辺の森と湖を超え、速度を上げて東ドイツの面影を残すのどかな風景の中を走っていきました。車窓には森が切れた場所に垣間見える小さな集落や、風力発電機なども見えます。
マイン河畔のフランクフルトは、飛行機に乗るときだけでなく、知人が住んでいたこともあり、何度も訪れたことがありますが、オーダー河畔のフランクフルトは初訪問です。単に同じ都市名というだけで、特段、比較する必要もないのですが、なじみ深いマイン河畔の都市のイメージが強いせいか、比べてみたくなってしまいます。
オーダー川の浅瀬が広がる場所にフランクフルトはあり、古来よりこの川を渡るための重要な場所でした。
第二次世界大戦末期はベルリンに向けて進撃してくる赤軍を迎え撃つための要塞となったことで、この都市は戦場となりました。大きな被害が生じ、戦後は川の東岸のダムフォアシュタット地区 (Dammvorstadt) まで奪われました。さらにソ連占領地域となり、東ドイツに属する都市となりました。
徒歩で国境を越え、ポーランドに入国した橋は、特に特徴のない青い橋でした。橋の途中で国境を越えたことになり、何とも気軽な感じです。犬の散歩で橋を渡っていても不自然ではありません。
かつてソ連の衛星国だった国の国境を、気軽に歩いて超えるというのは、ソ連時代を知る人間には感慨深い体験だったといえます。日本は海がすべての国境になっていることもあり、さらに貴重な体験になった気がします。
しかし、現在(3月24日現在)では、ドイツはフランス、オーストリア、スイス、ルクセンブルク。デンマークとの国境を閉鎖し、このときに国境を越えたポーランドでは、外国人の入国を禁止する状態になっています。
自由な往来に戻り、このストレスが早く解消されることを祈るのみです。