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今月の顔 ~菅田 紀克~
菅田 紀克
特定非営利活動法人 さいたま自立就労支援センター 代表理事
広大な農地。照りつける太陽。
無風状態から、ときおりアクセントをつけるかのような空気の流れ。
埼玉県の北東部に位置する加須市郊外。
東京都市圏内でありながら、工業団地などの影響もあって、独自の都市圏を形成している都市。
しかし旧北埼玉郡騎西町には、のどかな農村風景が広がり、その中に今日も菅田紀克氏は立っている。
風景に溶け込でいるその姿は、どこにでも目にするような農業従事者。
しかし、彼が以前、最先端のハードディスク事業経営者として大手メーカーとの競争に明け暮れ、熾烈なビジネス戦士であったことを知る人は少ない。
その事業は過酷な運命に翻弄された。
50代前半のとき、ついに事業は破綻した。
奥さんに逃げられた。
愛する子供とも離ればなれを余儀なくされた。
もう何もない、
そんな現実を迎えることとなった。
そんな話を、東日本大震災のときに避難者に提供された古い建物の前で淡々と語る。
そんな彼に、日本古来より続く農村風景が強力な刺激を与えることとなった。
埼玉県の障害者関連の団体を紹介されたことから、農業ベースの就労支援へと進んでいくこととなる。
平成17年11月7日には法律第123号・障害者自立支援法、平成25年12月13日には法律第105号・生活困窮者自立支援法という法整備を背景として、彼は独自の道を歩むようになる。
知的障害や身体の不自由さ故に働きたいと願いながら、その環境に恵まれない人、引きこもりになり社会に取り残されてしまった人、職場環境になじめず苦労を強いられてしまった人たち、色々な事情で行き場のなくなった高齢者等々。
生活困窮者自立支援法が対象とする人々は全国で800万人もいるといわれる。
その人々の受け皿として、菅田紀克氏のさいたま自立就労支援センターは様々な活動をすることになった。
ハードディスク事業から農業へ、決して華麗なる転身とはいえないかもしれない。
しかし、自然の雄大さ、ゆったりとした自然の息吹に触れながら、就農支援を続けることで、いつしか支援することそのものが彼のアイデンティティを確立していった。
もうあのビジネスの戦場に戻ろうとは思わない、わずかにはにかんだような微笑を浮かべつつ静かに語る。
埼玉県本庄市には開墾地まで誕生させた。
重機を扱える出稼ぎ労働者や、精力的に働くことに生きがいを感じる人々も参加したことから、周囲の人が驚愕するようなスピードで開墾地ができた。
そこには埼玉県認証の中間就労事業者の「アグリホーム彩華苑」がある。
激しい競争社会の中で苦悩する若い人たちの憩いの場・癒しの場を提供している。
過労で鬱になった人、引きこもりになった人が都会から来て、草花や軽い農作業をすることで、次第に元気になり、社会復帰を果たしていく。
そんな実際のエピソードも、別に自慢するわけではなく、淡々と菅田紀克氏は語ってくれる。
確かに時の流れは東京とは異なっている、少なくともそのような感覚を抱く。
山紫水明の自然と農耕民族のDNAを持つ日本人が「いつか見た風景」と認識すること、これが日頃の疲れや悩みを癒してくれる。
現代の日本では農業についての様々な課題が山積している。
大手資本の株式会社も農業ビジネスを展開することがある。その一方で後継者のいない農家では、農地が本来の役割を担えないまま荒れ果てることもある。
菅田紀克氏はいう。
「農業は投資の対象にならない!」
採算性を要求されても答えられないという現実がある。そう、農業は製造業の工場ではない。
自然との共生を余儀なくされる農業により、新鮮でおいしい野菜が食べられることが、どういう意味を持つか?
彼の問いかけについて考えるとともに、働き方・ブラック企業・鬱等々の問題ともつなげながら、農業に新しい視点を向けていくことが重要であることに気づかされる。
「はた楽サロン」編集部の取材を終えると、菅田紀克氏は颯爽と軽トラに乗り込み、農道を疾走していく。
その静かなエキゾーストノートは、緑の木々、広大な農地を貫き、運命に翻弄されながらも社会的使命を成し遂げている誇りとなって響き渡る。